おかげさまで82周年

こんにちは。広報担当モチコです。

早いもので5月も今日で最後となりました。そして、早くも梅雨入りしましたね。
我々建設業は天気と会話しながら仕事しないといけない日もあったりで、
雨には結構振り回されます。とはいえ、田畑にとってはなくてはならない
この季節、せっかくなので雨を楽しめるように過ごしていきたいものです。

さて、この5月で宮嶋組はおかげさまで82周年を迎えました。
今日は創業当時に少しタイムスリップしてみたいと思います。

これは1936年の創業当時に先々代の宮嶋重嘉が着用していた作業着です。
今では宮嶋組のお宝になっています。こういった作業着は江戸時代から
戦後まで広く使われていたそうですが、なんだか粋ですよね。

さて、この作業着を愛用していた宮嶋重嘉とはどういう人物だったのか。
創業当時の宮嶋組について少し触れたいと思います。

参考にしたのは・・・

ジャジャーン!「西條人物列伝」!!
この中に先々代が載っていると社長に教えてもらったので
早速、図書館で借りてきました。図書館の書庫の奥の方から
出してもらったこの本はいかにも歴史を感じる出で立ちです。

こちらが宮嶋組の生みの親。宮嶋重嘉(ミヤジマシゲヨシ)です。
社長曰く、「新しいことが好きで、事業力があり、
何よりも人の世話をするのが好きだった」そうです。

1936年(昭和11年)倉敷絹織株式会社(現株式会社クラレ)
西條工場が操業されるとともに、同社の建設関係の仕事を

請け負う宮嶋組を起業。当時、倉敷絹織はボイラー用石炭の
入荷が少なく、材木で補充していた。その材木は膨大な量で、
これを荷馬車で運搬するため、馬の数は相当なものであった
と伝えられている。
(西條人物列伝より抜粋)

先々代はたくさんの山を持っていたそうで、その山から材木を
切り出し材木を運ぶ荷馬車が行列をなしていたのかなぁと
想像しながら読み進めました。

社長も「先々代は世話好きな人だった」と話していましたが、
この本にもそれを裏付けるものがありました。
愛媛県議会議員を務めたり、伊曽乃神社と光明寺の常務総代、
西條高校PTA会長、同野球部後援会長など全ての役職は
書ききれないほど。

中でも印象的だったのは「葬儀のとき、西条高校の野球部の学生が
白いユニホームで棺を導いた」というくだり。
「人の価値は棺を蓋うて後定まる」と言いますが、人のために
尽くしてきた先々代の人柄がうかがえるシーンだったのでは
ないでしょうか。

先々代の作業着の背中には「重」マーク。
何も語らずともこの背中の文字をみていると先々代の
「人に尽くす。地元に貢献する」というアツい想いが伝わるのでした。
そのアツい想いを繋いでいくのも我々の使命です。

ちなみに1936年はアメリカのメジャーリーグベースボール(MLB)が
開幕した年でもあります。メジャーリーグは歴史が長い印象ですが、
それと同じだけ宮嶋組も歴史を刻んでいるってことですね。