まだ桜も咲いていない頃「住吉屋」見学に行きました。
「住吉屋」とは氷見の庄屋であった森家の民家です。
会長のご友人の森さんが管理をされており、
住吉屋の建築や歴史について教えていただきました。
住吉屋は江戸時代後期、氷見の隆盛に伴って繁栄、
加茂川以西、今治近郊までの土地を有し、
2000石の米を産するようになりました。
江戸末期には家屋を改築し、
松山藩、小松藩、西条藩のお殿様をお迎えしたそうです。
これがお殿様専用のお風呂場と便所です。
手洗い場は水琴窟になっていて
手を洗った後の水が、きれいな音を響かせます。
見つかっている棟札には天保12年(1841年)に建立とありますが、
恐らく以前からの建物を一部改築したものだとされています。
歴史のある建物ですが、
現在住吉屋の維持管理は困難な状況です。
雨漏りや外壁の劣化などいたるところが痛んできていますが、
大規模な修復をする費用を賄える環境がありません。
古いものを残す意義について考える時、
私は糸井重里さんの言葉を思い出します。
人が、観光で行ってみたいなと思っている土地。
その多くが、どこも「昔からあるもの」です。
偶然にせよ、意思をもってにせよ、
新しくしなかったものが、価値を持っている。
「いまからではできないもの」が時間を染み込ませて、
「触れてよかったもの」になっている
なんでも「現在」の価値観に合わせて、
削ったり塗ったり、盛ったり壊したりしているのが、
いまの社会の考え方であるように思えます。
いわば、時代が「整形マニア」みたいになってる。
2019/2/8 ほぼ日刊イトイ新聞「今日のダーリン」より抜粋
建物といった大きな古いものの維持はなかなか難しい。
しかし、古いものが朽ちていくのはもったいない。
どうしたらいいものか、考えものです。